DEEP CUTS
Lee Perryという狂い方。修理屋の次は呪術師の話
King Tubbyが引き算なら、この男は過剰。4トラックの小屋で宇宙を録音した男の話。
前回、俺は言った。工具箱の中身が整頓されてる男を信用する、と。配線の汚いやつの音は濁ってる、とも言った。
前言撤回はしない。しないが、例外が一人だけいる。今回はその男の話だ。だから書きにくい。自分の経験則の反例を、二千字かけて認める回だからな。
Lee "Scratch" Perry。King Tubbyが修理屋なら、こっちは呪術師だ。
先に困りごとを白状しておく。Perryの話は、資料を並べるほど分からなくなる。なぜなら本人が、史上最大級の「信用できない語り手」だからだ。インタビューのたびに違うことを言う。自分は宇宙人だと言う。魚の帽子をかぶって現れる。俺は店の頃、Perryの棚の前で客に経歴を聞かれるのが一番困った。「どこまで本当なんですか」と聞かれて、「本人も知らないと思う」と答えたことがある。あれは店主としては落第の返答だが、Perry研究としては満点だと今でも思ってる。
で、事実として硬いところだけ拾っていく。
1968年、「People Funny Boy」。Perryが世話になった業界人への当てつけで作ったと語られるこの曲には、赤ん坊の泣き声が入ってる。よそから持ってきた「音」を曲に貼り付けたわけだ。サンプリングという言葉が生まれる遥か前に、感情を音でコラージュしてる。この男の異常さは最初から出てた。ついでに言うと、バックにはThe Upsettersという鉄壁のバンドが付いてた。呪術ってのは、腕のいい楽団を従えて初めて芸になる。一人でやると、ただの奇行だ。
1973年、キングストンの自宅の裏庭に、自前のスタジオを建てる。Black Ark。黒い方舟だ。ここからの数年が、レゲエ史でも屈指の魔境になる。
機材の話をさせろ。ここが本題だ。
Black Arkの心臓は4トラックのテープマシンだった。4トラックだぞ。当時のイギリスやアメリカの大スタジオは16トラック、24トラックへ進んでた時代だ。4トラックってのは、部屋で言えば四畳半だ。ところがPerryの録音を聴くと、音が何十層にも重なって、奥行きがどこまでもある。四畳半に大聖堂が建ってるんだよ。
種明かしをすれば、トラックを重ねてはまとめ、重ねてはまとめ、を延々繰り返す。まとめるたびに音は劣化する。テープの上で音がすり減っていく。普通はそれを「音が悪くなる」と言う。Perryはその劣化ごと設計に入れた。すり減った音の混濁、あの沼みたいな質感こそがBlack Arkの音だ。劣化を欠陥じゃなくて絵の具にした。俺はこれを聴くたびに、傷だらけの中古盤の方が新品より鳴る夜があることを思い出す。傷は音の敵だが、たまに音の一部になる。
白状すると、俺も昔、4トラックのカセットMTRを買って真似したことがある。重ねてまとめて、を三回やったら、ただの泥になった。Perryのは沼で、俺のは泥だ。沼には底に生き物がいて、泥にはいない。その違いが才能って意味なら、俺は才能の定義をあの夜、四畳半で知った。機材は同じ値段帯だったんだがな。
スタジオでの振る舞いも常軌を逸してた。卓の周りに鏡や蝋燭を置き、テープに向かって儀式めいたことをしていたと、居合わせた人間たちが語ってる。機材にとっては迷惑な話だが、出てきた音が正しさの証明だ。『Police and Thieves』が1976年。Max Romeoの『War Ina Babylon』も同じ年。翌1977年にはThe Congosの『Heart of the Congos』。この三枚が同じ四畳半から出てきた。冗談みたいな打率だ。
若き日のBob Marleyの音を作ったのもこの男だ、という話まで含めると長くなりすぎるから、今回は名前だけ置いておく。
で、Black Arkは燃えた。本人が「自分で燃やした」と語ったことで知られてるが、経緯には諸説あって、たぶん正確なところは誰にも分からない。ただ、自分の最高傑作の現場に自分で火を放ったという物語を、誰もが「あの男ならやりかねない」と受け入れた。その受け入れられ方自体が、Perryという存在の説明になってる。
晩年は世界中を回って、魚の帽子で歌って、2021年に85歳で死んだ。長生きだった。狂気ってのは案外、燃費がいいらしい。
Tubbyの回で、ダブは引き算の音楽だと書いた。Perryは足し算だ。足して足して、テープが濁るまで足して、その濁りの中に神様を住まわせた。方法は真逆なのに、二人とも同じ場所に着いてる。録音は完成品じゃない、素材だ、という場所に。
疑うなら『Heart of the Congos』を配信で流してみろ。ヘッドホンでいい、今回だけは。あの沼の底から声が浮かび上がってくる感じは、四畳半で録られた音だと知ってから聴くと、もう一段怖くなるから。
(次回: 天才の隣で働いてた奴らの話。ScientistとPrince Jammy、弟子たちがダブを生き延びさせた)
Sources
- Black Ark(1973年設立、Washington Gardensの自宅裏、1973-1979稼働) https://en.wikipedia.org/wiki/Black_Ark_Studios
- Wax Poetics「The apex and sudden fall of Lee Scratch Perry's Black Ark」 https://magazine.waxpoetics.com/article/black-ark-city-too-hot/
- 「People Funny Boy」(1968)と初期サンプリング(赤ん坊の泣き声) https://en.wikipedia.org/wiki/Lee_%22Scratch%22_Perry
- 『War Ina Babylon』『Police and Thieves』(1976)『Heart of the Congos』(1977) 各Wikipedia作品ページ
- 2021年没・85歳(各紙訃報) https://en.wikipedia.org/wiki/Lee_%22Scratch%22_Perry
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