DEEP CUTS

8bitのダブ。Jahtariが本気にした冗談

ゲーム機の音色でルーツダブを鳴らす。ライプツィヒのレーベルJahtariは、ふざけた見た目の奥に、ダブの本筋を隠していた。連載「ビートの周縁」第2回。

JAHTARIDIGITAL DUBDISRUPT8BIT

矩形波のベースというものがある。ファミコンの音と言えば通じるだろうか。倍音の角が取れていない、四角いままの低音。あれでルーツダブをやっているレーベルが、ドイツのライプツィヒにある。Jahtari。主宰はDisruptことJan Gleichmarだ。

最初は冗談に見える。ジャケットは古いコンピュータゲームの意匠で、音色はチップチューン。レゲエの荘厳さとは正反対の、安くて四角い音の群れ。実際、Jahtariは2000年代半ばにネットレーベルとして始まり、無料のMP3を配る場所だったと伝えられている。スタジオも、プレス工場も、金もいらない。ラップトップ一台のダブ。彼ら自身がそれを笑いながらやっていた形跡が、初期の音源のそこかしこにある。

でも、三回聴き直すと分かる。これは冗談の顔をした本気だ。

理由は歴史の側にある。ジャマイカのレゲエは1985年、『Under Mi Sleng Teng』で一度デジタルに割れた。あのリディムの出どころが、カシオの家庭用キーボードに入っていたプリセットだったという話は有名だ。つまり、安い電子楽器のおもちゃみたいな音でリズムを組むことは、レゲエの本流が40年前に自分でやったことなのだ。King Tubbyの卓が手作りだったことまで遡ってもいい。Lee Perryが世界を驚かせたBlack Arkスタジオは、たった4トラックのレコーダーで回っていた。ダブという文化は、高級な機材の音楽だったことが一度もない。手元にある安い箱を限界まで使う音楽だった。Jahtariの8bitは、その伝統の正統な続きにある。パロディではなく、里帰りだ。

Disruptの『Foundation Bit』を聴くと、この理屈が体感に変わる。音色は四角いのに、空間の使い方が完全にダブの文法で動いている。エコーの返りの長さ、ベースを抜く場所、スネアに残響を持たせる瞬間。目をつぶれば、音色の安さは数分で気にならなくなり、残るのは奥行きだけになる。ダブの本体は音色ではなく空間の側にある、という事実を、これほど分かりやすく証明した音源は少ない。後年の『Omega Station』では、その空間が宇宙まで延びる。

僕が惹かれるのは、低音の質感だ。矩形波のベースは、生のベースともシンセベースとも違う沈み方をする。生のベースは弾いた瞬間から音が痩せていくが、矩形波は減衰しない。鳴らしている間、同じ太さのまま居座る。オルガンと同じ理屈だ。だから大きな音量で鳴らすと、うねる波ではなく壁のように立つ。クラブの空気で聴くと、丸い低音より先に胸に届く。この「安い音のほうが速い」という逆説は、スピーカーの前に立たないと分からない種類の知識で、Jahtariはそれを知っている人たちの音だと思う。

もう一つ、彼らの歩みで好きなところがある。無料MP3から始まったこのレーベルは、やがて7インチのヴィニールを切るようになったと伝えられている。データで配っていた音を、わざわざ重くて場所を取る円盤に戻す。逆行に見えるが、ダブの文化を知っていれば筋が通っている。サウンドシステムの現場では、盤は再生手段ではなく楽器の一部だからだ。回線で広がった音楽が、最後に盤へ帰ってくる。この往復を一つのレーベルが自分の体でやってみせたことに、僕は資料的な価値すら感じている。

Jahtariの周りには、似た体温の作り手が点在している。スウェーデンにはDon Imuzeの名前でルーツダブを続けている一団がいると伝えられていて、ヨーロッパの内陸に、こういう小さなダブの発信地が同時多発的にあったことが分かる。キングストンでもロンドンでもない街で、パーティの熱とは別の、部屋の熱でダブが作られていた。ベルリンにはベルリンの削ぎ落としがあったが、ライプツィヒのそれは笑いながら削る。同じ引き算でも、手つきがまるで違う。

盤質Bさんの連載が「ダブは動詞として生き残った」と締めていたが、Jahtariはその動詞が2000年代のドイツで活用された形の一つだ。しかも、いちばん風通しのいい活用形だと思う。

『Foundation Bit』を、まず小さい音量で。次にできる範囲で大きく。四角い低音が壁になる瞬間を確かめてほしい。安い音を笑えなくなったら、もうこちら側だ。

(次回・最終回: 名前のつかないビート——ポスト・ダブステップの越境者たち)

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