DEEP CUTS

ダブは事故から生まれた。で、事故で終わらなかった

ヴォーカルの入れ忘れから始まって、ミキシング卓が楽器になった。King Tubbyという修理屋が音楽の作り方を変えるまでの話。

REGGAEDUBKING TUBBY1970s

またダブの原稿かと言った。

俺の記録によると、この手の企画は三年周期で回ってくる。編集部の若いのが入れ替わるたびに、棚卸しみたいに「ダブの起源」を掘り起こしに来るんだ。だいたい夏に来る。ダブは夏の音だと思われてるからだろう。実際は違う。ダブは深夜二時の音だ。季節は関係ない。が、この話をすると長くなるから後にする。

まあいい。King Tubbyの話は何回してもいいことになってる。俺が勝手にそう決めた。

その前に少し寄り道をする。嫌なら三段落ほど飛ばしてくれ。

店をやってた頃、同じレコードを二枚買っちまうことがよくあった。盤質違いってやつだ。手持ちのやつより状態のいい個体を見つけると、買わない理由が見つからないんだよ。当時付き合ってた女に棚を見られて、「これとこれ、同じじゃない」と言われたことがある。同じじゃない、と俺は言った。こっちは盤質Aで、こっちはBだ。音がぜんぜん違う。彼女は黙って帰り支度を始めた。いま思えばあれが別れの始まりだった気もするが、あのA盤は今も手元にある。人生の収支としてはトントンだと思ってる。

なんでこんな話をしたかというと、ダブってのが「同じもの」の音楽だからだ。同じ曲のヴォーカル入りと、ヴォーカル抜き。同じテープの表と裏。同じ、のはずなのに、ぜんぜん違う。この「同じなのにぜんぜん違う」が呑み込めれば、ダブの話は半分終わってる。

で、本題だ。

始まりは事故だったと語り継がれている。1960年代の終わり、キングストン。サウンドマンが専属の小屋でダブプレート——自分のサウンドだけで鳴らす一点物の盤だ——を切らせたら、エンジニアがヴォーカルのトラックを入れ忘れた。歌のないリズムだけの盤。普通なら切り直しだ。ところが、それをダンスでかけたら客が歌った。フロアの全員が歌詞を知ってたから、歌なんて要らなかったんだよ。むしろ自分たちで歌える分だけ得だった。以来、シングルの裏面に「Version」と刻んだインストを入れるのが、ジャマイカ中の習慣になる。

入れ忘れが文化になった。いい話だろう。俺は入れ忘れた側のエンジニアがその後どんな顔で生きたのかが気になって仕方ないんだが、そういう記録はあまり残ってない。歴史ってのは薄情なもんだ。

ここまでが偶然の話。ここからが本題の本題だ。

Osbourne Ruddock、通称King Tubby。キングストンはWaterhouse地区の電気屋だ。ラジオやアンプの修理屋で、自前のサウンドシステムHometown Hi-Fiも回してた。残ってる写真を見ると、いつもきちんとした身なりをしてる。工具箱の中身が整頓されてるタイプの男だ。俺はこういう男を断然信用する。機材の裏の配線が汚いやつの音は、だいたい濁ってる。これは五十年の経験則だから文句は受け付けない。

このTubbyが、「Version」を商売道具から楽器に変えた。ミキシング卓の上で、ヴォーカルを抜く。ベースを残す。スネアにリバーブを叩き込む。消したはずの歌の断片を、ディレイの彼方からふっと呼び戻す。足し算じゃなくて引き算。録音の終わったテープが、卓の上でもう一回「演奏」される。

わかるか。演奏済みの音源に向かって「お前はまだ終わってない」と言い張った男がいたんだよ。壊れたラジオを直すのと同じ手つきで、完成した曲を未完成に戻した。俺はこれを音楽史でも有数の発明だと思ってるが、発明したのがスタジオの偉い先生じゃなくて町の修理屋だったってところが、何度考えてもいい。

俺が最初に食らったのはAugustus Pabloとやった『King Tubbys Meets Rockers Uptown』だった。輸入盤で2,800円。当時の2,800円ってのは、学生が三日ちゃんと食える金額だ。俺は三日食わない方を選んだ。後悔はしてない。腹は減ったが。

夜中に安アパートで鳴らすと、低音が壁をゆっくり押してくるのがわかった。隣の部屋から壁を叩き返されるまでがワンセットだ。あの押してくる感じがスピーカーの性能じゃなくてミックスの設計だと理解できたのは、ずっと後になってからだ。ダブってのは、音が鳴ってるところじゃなくて、音が消えていくところを聴く音楽なんだよ。スネアの残響が減衰して、闇に溶ける、その途中を聴く。だから深夜二時の音だと言ったんだ。冒頭の話、ここで回収したからな。

Tubbyは1989年に自宅の前で撃たれて死んだ。強盗だったと言われている。世界中の音楽の作り方を変えた男の機材が、その時はガラクタ扱いだったそうだ。この話をするたびに、俺は自分の店の閉店セールの日を思い出して、少しだけ嫌な気分になる。値段ってのは、音楽の外側の事情でしかないんだ。わかっちゃいるんだがな。

ついでに言えば、俺自身の盤質も今じゃBってところだ。傷はあるが、再生に支障はない。そういう盤の方が、たまにいい音で鳴るから困る。

今はダブの古典がだいたい配信で聴ける。悔しいが、ありがたい。ただ、ひとつだけ言わせろ。ダブは音量を出して初めて設計図が読める音楽だ。イヤホンで聴いた気になるのは、水族館のパンフレットで海を知った気になるのと同じだ。一度でいいから、箱で、腹で食らってこい。話はそれからだ。

(次回: Lee Perryという別の狂い方について。あっちは修理屋じゃなくて呪術師の話になる)

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