DEEP CUTS

ビートは宇宙へ行った

Brainfeeder、Ras G、Flying Lotus、Gaslamp Killer、Thundercat。黒い実験音楽から、ビート革命へ。

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Brainfeeder、Ras G、Flying Lotus、Gaslamp Killer、Thundercat。 黒い実験音楽から、ビート革命へ。

必聴3曲

Flying Lotus feat. Thundercat「MmmHmm」

『Cosmogramma』の中心を、一直線に射抜く一曲。 Flying Lotusはここで、ビートを"曲を乗せる台"から"宇宙そのもの"へ変えてしまった。

そして同時に、Thundercatをただの凄腕ベーシストの場所から引きずり出した。 声。低音。うねり。 この共同体の身体を象徴するアイコンとして、決定づけた瞬間だった。

Ras G & The Afrikan Space Program「All Is Well…」

Ras GがBrainfeederから『Back on the Planet』を放った時、Pitchforkはその名義を"Sun Ra的"と評した。 つまり、これは単なるビート・テープの拡張ではない。

黒い宇宙観そのものを、ビートへ無理やり移植する試み。 かなり荒っぽい。 だが、その荒さこそがRas Gだった。

The Gaslamp Killer feat. Miguel Atwood-Ferguson「Flange Face」

Gaslamp Killerを"ただの変なDJ"で終わらせないための一曲。 脳を揺さぶる低音。 歪んだビート。 そこへ、ふっと滑り込んでくるストリングスの気配。

Brainfeederという胎内から産み落とされた、まぎれもない重要作の一つ。

Low End Theory以後

2006年、Low End Theoryは始まった。

Daddy Kev、Nobody、Gaslamp Killerらの周辺から育ったこの水曜のパーティは、LAのヒップホップとダンス・ミュージックを強引に横断させた。 そしてFlying Lotus、Tokimonsta、Nosaj Thingらのキャリアを蹴り上げた。

Red Bull Music Academyは、ここを「beat scene」の時代精神を最も鋭く掴んだ場所だと位置づけた。 Los Angeles Timesもまた、Low End Theoryが現代LAのビート主体のサウンドを定義したと振り返っている。

Daddy Kevの言い方が刺さる。

Low End Theoryの語彙は、DJ ShadowやKrush、Mo'Waxだけではない。 Kool HercやAfrika Bambaataaにまで繋がっている。 そして彼は、LAのPure Filth sound systemのような周波数感覚とサウンドシステム美学が、Low End Theoryの骨組みにも流れ込んでいたと認めている。

ここが肝だ。

Brainfeeder周辺の話を「おしゃれなビート・ミュージック」で片付けると、一番大事なものが零れ落ちる。 あれは最初から、生々しい音響の話だった。 腹に来る低音の話だった。 現場でしか分からない、空気の圧の話だった。

Brainfeederは、その現場に名前を与えた。

Flying Lotusは2007年にdublabで同名のラジオを始め、2008年にレーベルとして正式始動する。 Faderによれば、最初期はデジタル中心の小商いだった。 だがFlying Lotus自身が「他がやりたがらないleftfield stuffを押し出したかった」と語る通り、BrainfeederはSamiyam、Ras G、Gaslamp Killerらの"変な方"をすべて受け止める器になった。

2010年、Ninja Tuneが世界流通を担い、BrainfeederはLAの熱を国際的な回路へ解放した。

ここからは私、G.DUBの実感だ。

あの頃、私はHouseやTechnoに浸かりきっていた。 Reggaeも聴く。 Beat Musicも追う。 たぶん当時の耳は、Glitch Hopと呼ばれていたあたりにも触れていた。

けれど、Brainfeederが立ち上がり、Low End Theoryの話が海を越えて届き出した頃から、私の耳は一気にビートへ拉致された。 そのままBass Musicへ。 戻れなかった。

2000年代末のあの共同体には、それだけの引力があった。 そして、暴力があった。

Cosmogrammaの先にあった黒い実験

Flying Lotusの流れを乱暴に書けば、『Los Angeles』(2008)は低音とノイズとヒップホップの再配線だった。 そして『Cosmogramma』(2010)は、そこにジャズ、ゲーム音楽、IDM、弦、ハープを詰め込んだ拡張版だった。

Pitchforkは『Los Angeles』を、b-boyのヘッドノッドとラップトップ実験主義の狭間をつなぐものとした。 『Cosmogramma』については、ジャズやIDMまで融合した挑戦と位置づけた。 Flying Lotus自身も、Alice Coltraneの霊的な音楽から受けた刺激が、ライブ楽器の導入へ繋がったと語っている。

Brainfeederの歴史でさらに大きいのは、『Cosmogramma』以後、ジャズが"飾り"ではなく、構造そのものとして食い込んできたことだ。

FaderはAustin Peralta『Endless Planets』(2011)を重要な転回点として書いている。 そこからKamasi WashingtonやThundercatへ続く川が見えてくる。

つまりBrainfeederは、ヒップホップ以後のジャズではない。 ジャズへ還っていくヒップホップのためのハブになった。

その先に『You're Dead!』(2014)がある。

Pitchforkはこの作品を、"死"を主題にした多様なスタイルのアルバムと評した。 ビート・アルバムというより、断片化されたジャズ・フュージョンを、死生観で無理やり束ねた作品だった。

後年のFlying Lotusは、自分はもはや"lo-fi beats"的な過去の様式に安住したくないと語っている。

ここも実感を記しておく。

『You're Dead!』を最初に聴いた時、正直よく分からなかった。 『Cosmogramma』のほうが圧倒的にいいじゃないかとすら思った。

けれど、そう切り捨てたくはなかった。 良いものだと信じて聴き続けた。

いま思えば、その違和感自体が大事だったのだ。

『Cosmogramma』はまだ"すごいビートのアルバム"として掴める。 だが『You're Dead!』は、ビートがすでにビートの顔をやめていた。 組曲。 葬列。 あるいは映画。

そこに戸惑ったのは、正しかったのだ。

そこへ並走していたのが、Ras GとGaslamp Killerだ。

Ras Gは、Rolandの追悼記事がまとめる通り、MPCやSPシリーズを使い分け、特にSP-404を轟音ライブの武器にした。 彼は自分の方法を"Ghetto Sci-Fi Music"と呼び、Afrikan Space Program名義でもそのやり方を続けた。 Pitchforkも『Back on the Planet』を、Sun RaやGeorge Clintonに連なるアフロフューチャリズムと結びつけて読んでいる。

私はRas GのSP-404さばきに、何度もチルな夢へ飛ばされた。

同じ手触りの人を、ほかに思いつかない。 彼のビートは、ダブの空間処理、ヒップホップの首振り、アフロフューチャリズムの視界が、同じ箱の中で煙になっている状態だった。

しかも、それを神話に逃がさない。 街の匂いのまま鳴らしていた。 そこがRas Gだった。

一方のGaslamp Killerは、自身のアルバム『Breakthrough』を、サイケデリックなワールド・ミュージック、ヒップホップ、歪んだ808、テープ・エコーを全部ひとつに入れたかったと語っている。 Low End Theoryを"dubstep"と一括りにされたことへの反発もあわせて、彼の役割は明確だ。

このシーンは、一つのジャンルの支流ではない。 ヒップホップ、ベース、サイケ、ジャズ。 それらを混ぜ直す実験場だったのだ。

Thundercatの前史とジャズへ戻るヒップホップ

Thundercatといえば『Drunk』が入口にされがちだ。 だが重要なのは、その前だ。

LA Weeklyは2011年の時点で、彼を『Cosmogramma』の「MmmHmm」で低音を支えた存在として紹介している。 デビュー作『The Golden Age of Apocalypse』は、Flying Lotusの全面プロデュースだった。

Pitchforkはこのデビュー作を、電子音、ソウル、ジャズを混ぜたアルバムと評した。 続く『Apocalypse』では、その音楽性が人間的な喪失感に結びついたと書いた。

Thundercatといえば『Drunk』語りが先行する。 でも、本当に大事なことは、その前に起きていた。

ベースがただの職人芸ではなくなった。 歌い、泣き、アニメやゲームの感覚まで含んだ、新しいブラック・ミュージックの身体になっていた。

Faderが書いたように、Brainfeederはジャズを新しい世代のビート・ヘッズへ押し戻した。 LAビート・シーンでは、プロデューサーが太陽系そのものになった。 Thundercatは、その"中心の低音"だった。

この話を私は、もっと長い線で見たい。

1950年代のジャマイカ録音セッションは、"ジャズを愛するミュージシャンがR&B志向のプロデューサーのために作ったもの"であり、それが後のポピュラー音楽の土台になったとJazzTimesは書いている。 そしてサウンドシステムが、ジャズ・クラブの外側で別の聴取空間を作った。 そこからska、rocksteady、reggae、dubが育つ。

その文化は、KingstonからBronxへ渡る。

Smithsonianは、DJ Kool Hercがジャマイカの大きなサウンドシステムを持ち込み、ブロック・パーティがヒップホップの原点になったことを記している。 Daddy KevがLow End Theoryの精神をKool Hercまで遡らせたのは、この歴史を肌で知っていたからだろう。

私には、こう見える。

ジャズがジャマイカへ入って、skaやreggaeの根を作った。 そのサウンドシステムが、ヒップホップの現場感覚を作った。 ヒップホップはJ Dilla以後のビート革命を経て、Brainfeederでまたジャズへ導かれていった。

これは、きれいな円環ではない。 もっと雑だ。 煙たい。 都市ごとの事情が入り組んでいる。 だが、線はある。

J Dillaの"Dilla Time"のズレは後続に影響を与えた。 Brainfeederはそのズレを、ジャズ、ダブ、映画、ベース・ミュージックの方へ拡張した。

いまやFlying Lotusは、とんでもないところまで行った。

彼はレーベルからEP『BIG MOMMA』を出し、2025年のSFホラー映画『Ash』では監督とスコアを担った。 2026年のインタビューでは、古い"lo-fi beats"の様式がいまや「Starbucks music」のようになったとも話している。

ビートが宇宙へ行ったあと、彼はそのまま映画の中へ入っていった。

だが根っこは変わらない。 低音。 編集。 夢。 そして、黒い実験精神だ。

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