lo-fi hiphopは本当に薄い音楽なのか のビジュアル

DEEP CUTS / SASAKI KUSH #002

lo-fi hiphopは本当に薄い音楽なのか

作業用BGMの奥には、J Dillaの時間のズレと、Nujabesのサンプル美学がまだ残っている。lo-fi hiphopを、静かな黒い音楽として聴き直す。

LO-FIBEATMAKERSAMPLINGDUB

lo-fi hiphopは、よく勉強用とか作業用とか、便利な言葉で片づけられる。このジャンルが輪郭を持ったのは2010年代半ば。24時間流れ続けるYouTube配信と、勉強や仕事の気分を整える習慣にくっついて広がった。研究の見立ても同じだ。

ただし、背景で鳴ることと、中身が薄いことは同じではない。ここを間違えると、この音楽のいちばん面白い部分を落とす。たぶん、低域の話です。

低刺激と低密度は違う

lo-fi hiphopは、ただの低刺激な壁紙ではない。WinstonとSaywoodの論考をたどると、根は1990年代のインストゥルメンタル/実験的ヒップホップにある。別のレビュー論文も、low-fidelityという名前が雑な制作や低品質を意味するわけではないと書く。

ノイズ、揺れ、粗さ、短いループ。それらは手抜きではなく、音楽を日常へ近づけるための質感だ。僕の耳には、アイドル曲のカップリングに入る古いエレピや、朝方のディープテクノに残るノイズと同じに聴こえる。弱いのではなく、耳の距離が近いだけだ。

Dillaの時間はまっすぐ進まない

厚みの最初の柱はJ Dillaだ。Dan CharnasがPitchforkで整理したように、Dillaは量子化された直線的なビートから少し外れた場所で、MPCの時間処理を使って拍の内側に微細な衝突を作った。ミリ秒単位のズレの話で、そこが面白い。

『Donuts』は、その感覚が短い断片に凝縮された作品だ。Stones Throwの20周年盤の記載によれば、リリースは2006年2月7日。その3日後にDillaは亡くなった。時間が短い。だからこそ、音の中の時間が妙に伸びる。三回聴き直すと、伸びる場所が毎回ちょっとズレて聴こえる。

Nujabesは細い音ではない

次の柱がNujabesだ。2003年の『Sound & Recording』取材の英訳では、彼が古いソウルやジャズをサンプルした音楽を自分で聴きたくて制作へ戻ったこと、ループを重ねたときに起きる快楽を重視していたことが語られている。

Nujabesの仕事は、細い音ではない。サンプリングとラップ、生演奏のあいだに、空気の通り道を作る仕事だった。『Modal Soul』の『Feather』を聴くと、その通路がまだ開いているのが分かる。

部屋に戻ってきたブラックミュージック

ここにFKJとMasegoを置くと、話は現在形になる。前回書いたように、二人は即興、低域、反復を、いまの部屋のサイズへ戻す。『Tadow』はそれがかなり露骨に出た曲だ。

lo-fiという言葉だけで聴くと、音が薄く見える。だが、Dilla、Nujabes、FKJとMasegoまで線を引くと、見えるのは薄さではなく圧縮だ。ブラックミュージックの時間感覚を、生活の中で鳴るサイズまで小さくしている。

流通が薄く見せる

薄く聴こえる理由の半分は、音楽そのものより流通の側にある。lo-fi beatsは、「勉強用」「作業用」「休憩用」みたいな場面別プレイリストと相性がよすぎる。近年の研究も同じ点を突いている。

主役になりすぎない音楽として置かれるほど、由来の濃さは見えにくくなる。DillaやNujabes由来の濃い作法が、集中用BGMとしてだけ消費される。便利になったぶん、耳が少し雑になる。一回、音量下げて聴いてください。作業のノイズが引くと、奥にいたものが急に見えてくる。

静かに厚い

ヒップホップへの功績は言いやすい。Dillaはリズムの概念をずらし、Nujabesはジャズとラップの親密な接続を日本から更新した。ただ、Nujabesを一人でlo-fi hiphopの始祖にするのは、少し乱暴だと思う。研究上は、1990年代のインストゥルメンタル・ヒップホップ全体に根を置くほうが正確だ。

レゲエ側は、影響があったと言い切る話ではない。ただ、耳の使い方が近い。ダブの空間処理、音が引いたあとに残る気配、低音を前に出しすぎない強さ。lo-fiの空間感覚は、その発想と遠くない。

lo-fi hiphopは薄い音楽ではない。丁寧に圧縮された音楽だ。雑に流すと見落とす。ちゃんと聴くと、その奥でブラックミュージックの時間感覚がまだ脈を打っている。

出典

IASPM Journal: Beats to relax/study to SAGE Open: lo-fi music review SAGE: lo-fi beats and contextual playlists Pitchfork: Dan Charnas on J Dilla Stones Throw: J Dilla『Donuts』20th anniversary edition Kumomi: Nujabes 2003 interview translation Apple Music: Nujabes『Modal Soul』 GRAMMY.com: FKJ on improvising『Tadow』 FKJ & Masego:『Tadow』official studio session

KEEP READING

このテーマを続けて読む