HISTORY

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Global Hip-Hop Hip-Hop史

Bronx、黄金期、南部、Trap、Drill。

1990s-2000s

G-Funk / South / Club Era

西海岸のメロウ、南部の低音、クラブの跳ねが地図を塗り替えた。

90年代に入ると、NYだけでヒップホップを語れなくなる。Dr. DreG-Funk、2PacとDeath Row、NasやWu-Tang ClanのNY、The Notorious B.I.G.とBad Boy、OutKastUGKの南部。地域ごとの訛り、車で鳴る低音、クラブ向けのフック、レーベルのビジネス感覚が地図を塗り替えた。

90年代に入ると、ヒップホップをニューヨークだけで語れなくなる。西海岸ではDr. DreG-Funkの音響を完成させ、Death Rowが黄金と暴力の頂点を独占した。南部ではOutKastUGKが「ここにも言うべきことがある」と名乗りを上げ、アトランタがヒットの工場になっていく。地域ごとの訛り、車のオーディオで鳴る前提の低音、クラブ向けのフック、そしてレーベルのビジネス感覚が、ヒップホップの地図を塗り替えた。中心が一つだった時代が終わり、複数の首都が並び立つ。この分散こそが、後のトラップ全盛への下地になった。

聴きどころ

ベースの太さ、シンセの滑り、フックの覚えやすさ、地域ごとの声の置き方。ラップのうまさだけでなく、車、クラブ、ラジオ、MVで鳴った時の強さを聴く。

Timeline

1992

Dr. Dre『The Chronic』でG-Funkのイメージが決定的になる

late 90s

2Pac、The Notorious B.I.G.の死を経て、地域対立の熱と商業化の重さが刻まれる

late 90s

Master P、Cash MoneyNo LimitOutKastUGK周辺で南部の存在感が増す

2000s

Crunk、Snap、Club Rapがチャートとクラブを動かす

顔ぶれ/現場/レーベル

背景

地図が広がると価値観も変わる

NY中心の基準だけでは測れない音が増えた。南部の間、西海岸のメロウさ、クラブの直接性が、ヒップホップの『かっこよさ』を何度も更新した。

車とクラブで完成する音

ヘッドホンで細かく聴くより、車の低音やクラブの大きな箱で意味が出る曲がある。この時代のヒットは、生活空間の鳴り方まで含めて設計されている。

ビジネスが街の顔を作った

Death Row、Bad Boy、No LimitCash Moneyは音だけでなく、ロゴ、ジャケット、映像、服の見え方まで作った。地域の色は自然発生だけではなく、レーベルがどう売ったかにも表れる。

日本の現場では

日本でもローライダー、ウェッサイ、クラブイベント、ミックスCD文化が広がり、服や車の趣味まで含めた受け取り方が生まれた。

ジャケット / 映像 / 服

ローライズ、オーバーサイズ、チームジャージ、バンダナ、エアブラシT、ジュエリー。地域色がそのまま服に出る。

関連キーワード

音源・人物・現場

Archive

要点

西海岸と南部は、車、低音、街の速度を変えた。ヒップホップの地図がニューヨークだけではなくなる。

車で鳴るミックス

G-Funkのシンセ、南部の808、遅いBPM。ヘッドホンだけでなく車で鳴る前提の音作りがある。低音の長さと余白を聴く。

地域の訛りと声

英語が聞き取れるか以前に、声の伸ばし方、訛り、間の取り方が地域を出す。日本の地方ラップを見る時にも、この感覚は使える。

服はローカルの記号

Dickies、チームジャージ、グリル、エアブラシT。流行というより、どの街のどの階層から出ているかが服に出る。

関連キーワードG Funk documentaryUGK Ridin DirtyThree 6 Mafia Memphis rap
G-Funkの音響設計
編集部

1992年、Dr. Dre『The Chronic』が西海岸の音を決定づけた。高く伸びるシンセのリード、ゆったりした重いビート、そして車のオーディオで鳴らす前提の低音設計。G-Funkと呼ばれるこの音は、聴く場所まで含めてデザインされていた。ヘッドフォンではなく、ローライダーのトランクで鳴らすための音。

土台はParliament / FunkadelicのPファンクだった。Dr. Dreは彼らのファンクの遺伝子——うねるベース、宇宙的なシンセ、ゆとりのあるグルーヴ——をサンプリングし、時に生演奏で再現し、ヒップホップのビートに移した。過去のファンクが、90年代西海岸の日光の下で鳴り直した。

この音がSnoop Doggの声を得て完成する。急がず、間を泳ぐような滑らかなフロウ。緊張を煽る東海岸のラップとは正反対の、余裕そのものが武器になる発声だった。『Doggystyle』(1993)は、その余裕を一枚に定着させた。

G-Funkは、ヒップホップが「その土地の生活の音」になれることを証明した。ニューヨークの地下鉄の音がブーンバップなら、ロサンゼルスの高速道路の音がG-Funkだ。音楽が、鳴らされる場所の形をしている。

The South got something to say
編集部

1995年、ニューヨークで開かれた音楽賞の授賞式。最優秀新人グループにアトランタのOutKastが選ばれた瞬間、会場のブーイングが起きたと語り継がれている。東西の海岸が主役だった時代、南部は田舎扱いされていた。そこでAndre 3000がステージで放った一言——南部にも言うべきことがある——は、南部ヒップホップの独立宣言として何度も引用される。

宣言は予言になった。OutKastは『Stankonia』や「Hey Ya!」まで、実験とヒットを両立し続ける稀有なグループになり、テキサスのUGKは湿ったソウルフルなトラックと引きずる声で南部の美学を固めた。二組が交わった「Int'l Players Anthem」(2007)は、南部の戴冠式のような一曲になる。

インフラも育った。L.A. ReidとBabyfaceのLaFaceはアトランタに拠点を置き、Jermaine DupriのSo So Defが地元の才能を次々に商品にした。南部が「地方」ではなく「中心」になる土台が、レーベルの物理的な置き場所から作られていく。

ブーイングされた側が、20年後にヒップホップの重心になる。その逆転の起点として、あの一夜の一言はよく効く物語になっている。誰が主役かを決めるのは、中心を自称する側ではなく、名乗りを上げ続けた側だった。

クラブが工場になった街
編集部

アトランタがヒップホップの首都のひとつになった過程は、音楽の話であると同時に、街の構造の話でもある。

LaFaceの移転が象徴的だった。ニューヨークやロサンゼルスではなく、あえてアトランタに拠点を置くレーベルが成功したことで、南部は「上京しなくていい場所」になった。地元で作り、地元でヒットを試し、地元から全国へ出せる。この自己完結が、才能の流出を止めた。

ヒットの試験場になったのがクラブとストリップクラブだった。新しい曲をまず現場でかけ、フロアの反応で当たりを見極める——この即興のテストが、アトランタの制作を速く、実戦的にした。Lil Jonのクランクは、そのフロア直結の音だった。叫び声とシンプルで凶暴なシンセで、会場を一瞬で沸かせる。頭で聴く音楽ではなく、体で判定される音楽。

この仕組みは、才能の再生産も速くした。ヒットが出れば、その周辺のプロデューサーやラッパーが次々に発掘され、地元のスタジオに人が集まる。中央に上京しなくても、地元の回路の中で次の世代が育つ。ニューヨークやロサンゼルスが「行く場所」だったのに対し、アトランタは「留まって作る場所」になった。この違いが、後の圧倒的な生産量の差を生む。

このフロア直結の体質が、2010年代のトラップ量産体制へまっすぐ繋がる。曲がスタジオではなくクラブで完成する街。作ってすぐ試し、当たれば量産する回路。アトランタが後にヒップホップの生産拠点になれたのは、この工場のような仕組みを90〜00年代に作り上げていたからだ。

Lineage

系譜

01
系譜

Dr. DreG-Funk(P-Funk×車の低音、92)→ Death Rowの頂点と崩壊 → 南部の名乗り(OutKast / UGK、95〜)→ LaFace / So So Defのアトランタ・インフラ → クランク(Lil Jon)とクラブ直結の制作 → 2010sトラップ量産体制の下地。中心が分散し、複数の首都が並び立つ時代へ。

Essential

この時代の5枚

03
OutKastAquemini』 (1998)

南部の実験と叙情の頂点。宣言が音になった一枚

04
UGKRidin' Dirty』 (1996)

南部の声の重さの基準器

05
Lil Jon & The East Side BoyzKings of Crunk』 (2002)

フロア直結の音。クラブが工場だった証拠

アーティスト

この時代の10組