HISTORY

ジャンル別

ジャンルで読む

Global Hip-Hop Hip-Hop史

Bronx、黄金期、南部、Trap、Drill。

1970s

Bronx Block Party

レコードのブレイクを伸ばした瞬間、街の遊びが文化になった。

1970年代のBronxでは、都市の荒廃、貧困、移民コミュニティ、ギャングの緊張、学校や公園の余白が重なっていた。そこでDJ Kool Hercがブレイクを引き延ばし、B-Boy/B-Girlが踊り、MCが場を動かし、Graffitiが街に名前を残した。Hip-Hopは商品として生まれたのではなく、足りない場所を自分たちで作る文化として始まった。

1970年代のサウスブロンクス。高速道路が街区を割り、資本が逃げ、火災が住宅を街区ごと消していった。行政にも市場にも見捨てられた場所で、キングストン仕込みのサウンドシステムを持ち込んだジャマイカ移民の少年が、パーティの形を変える。DJ Kool Hercがレコードのブレイクだけを引き延ばし、その数十秒のためにB-Boyがフロアを奪い合い、マイクを握ったMCが場を回し、壁と地下鉄にGraffitiが名前を刻んだ。別々に生まれた四つの動きは、公園と集会室のブロックパーティで合流する。Hip-Hopは商品として発明されたのではない。クラブに入れる年齢でも金もない連中が、足りない場所を自分たちで作った——その工程の名前だ。初のレコードは1979年。それまでの6年間、この文化の記録は現場とカセットテープにしかなかった。

聴きどころ

ドラムブレイクを伸ばすDJの手つき、Grandmaster Flashの正確なミックス、Grand Wizzard Theodoreのスクラッチ、MCの短い煽り。曲というより、パーティーを止めない技術として聴く。

Timeline

1973

1520 Sedgwick Avenueのパーティーが、初期ヒップホップの象徴として語られる

mid 70s

ブレイクビーツ、MCの煽り、B-Boy/B-GirlGraffitiが街の現場で固まる

late 70s

Grandmaster FlashGrand Wizzard TheodoreAfrika BambaataaがDJ技術とシーンの輪郭を広げる

1979

Sugarhill Gang「Rapper's Delight」でラップがレコード産業へ届く

顔ぶれ/現場/レーベル

背景

ヒップホップは最初から複数形

ラップだけが先にあったわけではない。DJが音を伸ばし、ダンサーが反応し、壁に名前が残り、MCが場をつなぐ。ひとつの表現ではなく、街の中で複数の表現が同じリズムを共有した。

貧しさを言い訳にしない発明

機材も場所も十分ではない中で、既にあるレコードの一番熱い部分を切り出して使う。ヒップホップの強さは、足りない環境を編集力でひっくり返すところにある。

4つの要素は後から名前が付いた

DJ、MCB-Boy/B-GirlGraffitiは最初から教科書のように並んでいたわけではない。パーティー、壁、地下鉄、ダンスフロアの動きが同じ時代の空気を吸い、後からヒップホップの要素として整理されていった。

日本の現場では

日本でヒップホップが受け入れられる時も、音源だけでなくダンス、グラフィティ、ファッション、クラブが入口になった。カルチャー単位で入ってきた点が大きい。

ジャケット / 映像 / 服

スポーツウェア、スニーカー、キャップ、ネームベルト。高級ではなく、自分のブロックをどう見せるかの服。

関連キーワード

音源・人物・現場

Archive

要点

Bronxのブロックパーティーは、ジャマイカのサウンドシステムをそのまま移した話ではない。音響の考え方を持ち込み、素材はNYのファンクへ置き換えたところが重要。

サウンドシステムのDNA

Kool Hercはジャマイカで聴いた巨大スピーカー、マイク、場の支配感をBronxへ持ち込んだ。ただしフロアを動かしたのは、当時のNYの若者が反応したFunkとSoulのブレイクだった。

ToastingとMCの距離

ジャマイカのDeejay/Toastingは、ヒップホップのMCと同じものではない。ただ、ビートの隙間へ声を入れ、名前を呼び、場を動かす発想は、Bronxのマイク文化に太い線を引いた。

移民の記憶が形を変える

カリブの音響文化は、移民の移動でNYへ入った。そこでレゲエではなくFunkのブレイクを鳴らしたことが、コピーではない新しいカルチャーを生んだ。

曲より場を見る

この時代は、完成された音源より、どこで鳴らし、誰が踊り、誰がマイクを持ったかが大事になる。パーティーそのものがメディアだった。

DiscoとHouseの隣で見る

同じNYでは、Larry LevanParadise Garageのようなクラブもフロアの聴き方を変えていた。Hip-HopとHouseは別の道を走るが、長くつなぐ選曲、サウンドシステム、踊る人を中心に置く感覚は同じ都市の夜から出ている。

関連キーワードDJ Kool Herc sound systemU Roy toasting hip hop1520 Sedgwick block partyLarry Levan Paradise GarageNY disco house hip hop
1973年8月11日、誕生日の検証
編集部

1973年8月11日、ブロンクス西部のアパート1520 Sedgwick Avenueのレクリエーションルームで、告知チラシ付きのパーティが開かれた。「Back to School Jam」。主催は当時高校生のCindy Campbell。新学期の服を自分で買うための資金集めで、入場料は女性25セント、男性50セント。DJは兄のClive、のちのDJ Kool Hercである。入場料まで書かれた手書きのチラシが残っていることで知られ、この夜の輪郭は珍しく物証つきで語れる。

Hercは1955年キングストン生まれ。1967年に家族でブロンクスへ渡り、故郷のサウンドシステムの流儀——巨大な低音、マイクの口上、街区ごとの看板——を身体で覚えていた。この夜の時点で後年の代名詞になる2枚使いを完成させていたかは判然としないが、音量と選曲が近所の評判になっていたことは本人の回想と一致する。

問題は、この一夜が「Hip-Hopの誕生日」になった経緯のほうだ。2007年にはこの建物を「ヒップホップ発祥の地」として扱う動きが報じられ、2021年には米上院が8月11日を祝う決議を可決したとされる。2023年の「Hip-Hop 50」も、この日付を基準に祝われた。つまり誕生日は当時から誕生日だったのではなく、当事者の記憶と物証をもとに、後年になって公式化された記念日である。

当時の感覚では、この夜は街に無数にあったパーティのひとつだった。研究者や書き手の間では、Hip-Hopの起源は特定の一夜ではなく数年がかりのプロセスだったという見方が強く、Herc以前のパーティDJの存在を指摘する声もある。それでも8月11日が選ばれたのは、日付と場所と主催者を実名の物証で言える夜が、ほかにほとんどないからだ。

記念日は事実の要約であって、事実そのものではない。1973年8月11日は「すべてが始まった夜」ではなく、「始まりの中で最もよく記録された夜」と言うほうが正確だろう。それで価値が下がるわけでもない。

二枚使いの発明、メリーゴーラウンド
編集部

Hercの発明は観察から始まった。フロアが最も沸くのは、曲の途中でボーカルが消えてドラムとパーカッションだけになる数秒——ブレイクの間だった。踊り手はその瞬間を待ち、過ぎると熱が引く。ならばその数秒だけを続ければいい。

方法は力技だった。同じレコードを2枚用意して2台のターンテーブルに載せ、片方でブレイクを再生し、終わる直前にもう片方の同じ箇所へ切り替える。往復させれば、数秒のブレイクが理論上は無限に続く。Hercはこの手法をmerry-go-roundと呼んだ。James Brownからincredible Bongo Band、Babe Ruthへ渡す流れが定番だったと本人が語っている。Breakbeatという言葉が指すものの原型は、この往復運動である。

この発明が役割を二つ生んだ。引き延ばされたブレイクで踊る連中をHercはB-Boyと呼んだとされ、DJが2枚使いに集中する間にマイクで場を回す役が独立してMCになった。Hercの相棒Coke La Rockを最初のMCとする見方が有力だ。

手つきを精密にしたのがGrandmaster Flashだ。Hercの切り替えは耳と勘に頼るため、つなぎ目が揺れる。Flashはヘッドフォンでの頭出しと盤面への目印を体系化し、ブレイクを正確なループとして刻める技術に作り替えた。

そしてScratch。Flashの周辺にいた少年Grand Wizzard Theodoreが、自室で大音量の練習中に母親にとがめられ、レコードを手で押さえて止めた瞬間、盤を前後に擦る音そのものに気づいた——という逸話を本人が繰り返し語っている。密室の出来事だから検証のしようはない。ただ、スクラッチの発明者としてTheodoreの名を挙げることに、シーン内で大きな異論はないとされる。

偶然と力技を、誰でも練習できる技術に変える。1970年代のブロンクスのDJがやったのはそれで、以後この文化で起きるほとんどの発明の足場になった。

パーティは避難所だった
編集部

サウスブロンクスの荒廃は天災ではなかった。クロス・ブロンクス高速道路の建設が住宅街を物理的に割り、中産層の流出と不動産価値の下落が続いた——という都市計画失敗の語りが、この地区の定番の説明になっている。確かな事実として、1970年代のサウスブロンクスでは火災が多発し、街区単位で建物が失われた。保険金目当ての大家による放火が横行したと当時から言われているが、火災原因の内訳については今も議論がある。いずれにせよ行政サービスは削られ、地区は「燃える街」として全米に報道された。

若者の側にはギャングがいた。転機としてよく挙げられるのが1971年12月、Ghetto Brothersの和平係の死をきっかけに開かれたHoe Avenueの休戦会議だ。主要ギャングが一堂に会し、抗争の縮小に合意したとされる。この休戦が空けた時間と場所に、パーティが入り込む。

Afrika Bambaataaは、その転換を組織にした人物だ。ギャングの幹部だった彼は、1970年代半ばまでにZulu Nationを立ち上げ、縄張りと動員の構造をDJ、ダンス、Graffitiのクルーへ作り替えたとされる。なおBambaataaについては近年、未成年への性的虐待の告発と民事訴訟が報じられており、この文化史上の功績は、その事実と併記して扱う段階にある。

現場の条件は貧しかった。クラブに入れる金はなく、屋内の箱も少ない。だから公園だった。機材は街灯の根元の電源から電気を引いて動かしたという証言が複数残る。1977年7月の大停電では電器店の略奪が起き、直後に街のDJ機材が急に増えたと、のちにThe Cold Crush Brothersを率いるGrandmaster Cazが語っている。褒められた話ではない。ただ、機材の値段が参入障壁だった文化に何が起きたかは想像がつく。

燃える街区と休戦したギャングの間で、音のデカいブロックパーティは、行き場のない時間を安全に潰せる数少ない場所だった。避難所という言い方は、比喩ではない。

Lineage

系譜

01
系譜

キングストンのサウンドシステム(Hercが幼少期に浴びた低音とマイクの口上)→ ブロンクスのブロックパーティとパークジャム → merry-go-roundによるブレイクの延長 → B-BoyとMCの分業、Graffitiとの合流 → Grandmaster Flashの精密化とGrand Wizzard TheodoreのScratch → The Cold Crush Brothersらのルーティン磨きとライブテープの流通 → 1979年、Sugar Hill / Enjoy系レーベルによるレコード化。現場が6年先行し、録音産業があとから追いついた。

Research

諸説

諸説あり

1973年8月11日は「Hip-Hopの誕生日」か
確認できること

1973年8月11日、1520 Sedgwick Aveのレクリエーションルームで、Cindy Campbell主催・DJ Kool Herc出演の「Back to School Jam」が開かれた(入場料の記載を含む手書きチラシの存在が知られる)。この日付は後年に公式化され、2023年の「Hip-Hop 50」の基準になった

当時は無数のパーティのひとつであり、誕生日は後付けの記念日だとする見方。研究者・書き手は「起源は一夜ではなく数年がかりのプロセス」と位置づける。さらにHerc以前のニューヨークのパーティDJ文化(Grandmaster Flowers、Pete DJ Jonesらの名が挙がる)を先行例とする主張もある

Essential

この時代の5枚

01
The Incredible Bongo BandBongo Rock』 (1973)

「Apache」収録。Hercが往復させたブレイクの原料そのもので、この文化が何に反応したのかが一番速くわかる

02
Sugarhill Gang「Rapper's Delight」 (1979)

現場の芸を初めて商品に翻訳したレコード。当時のブロンクスそのものではない「時代の窓」として聴く

03
Grandmaster Flash & The Furious Five「Superrappin'」 (1979)

Enjoy盤。ルーティンの息遣いはRapper's Delightより現場に近く、本来の記録媒体がライブテープだったことを思い出させる

04
Funky 4 + 1「That's the Joint」 (1980)

Sha-Rockを擁するグループ芸の完成度がそのまま入った一枚。パーティの熱の再現度で選ぶならこれ

05
Grandmaster Flash & The Furious Five「The Message」 (1982)

燃えるサウスブロンクスを内側から描写した後年録音の「時代の窓」。空気の答え合わせに

アーティスト

この時代の10組