HISTORY

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Japanese Hip-Hop 日本語ラップ史

街、クルー、バトル、配信、現在地。

1980s-1995

入口 / 日本語化の前夜

映画、原宿ホコ天、クラブ、輸入盤。入口はひとつではなかった。

1983年の映画『ワイルド・スタイル』公開以降、ブレイキン、DJグラフィティ、ラップが一気に可視化された。原宿ホコ天はストリートダンスの場。西麻布Tools Bar / P.PICASSO、高樹町Bubblin' Dub、Monkberry's、渋谷のクラブとレコード屋は夜と流通の入口だった。最初の日本語ラップは、輸入された型を日本語の声と街の遊びへ置き換える作業だった。

聴きどころ

英語のノリをそのまま真似たかどうかではなく、日本語の語尾、母音、笑い、間をどうリズムに置いたか。DJ、ダンサー、ファッションの熱も同じ入口として聴く。

Timeline

1983

映画『ワイルド・スタイル』が公開され、ヒップホップの4要素が日本でも強く可視化される

mid 80s

原宿ホコ天のストリートダンスと、クラブ/ディスコ/輸入盤店の夜側で入口が広がる

late 80s

いとうせいこう近田春夫MAJOR FORCE周辺が日本語とビートの置き方を試す

early 90s

スチャダラパーEAST ENDMICROPHONE PAGERECDらが別々の方向で日本語ラップを太くする

1995

キングギドラ、BUDDHA BRAND、RHYMESTER周辺の動きが、次の地下の熱へ接続する

顔ぶれ/現場/レーベル

背景

日本語ラップは翻訳ではない

英語のフロウを置き換えるだけでは、日本語の間が死ぬ。初期の試行錯誤は、韻の密度より先に、どの語尾ならビートに乗るか、どこまで話し言葉を残すかの実験だった。

ダンスとDJを切り離さない

初期の日本のヒップホップは、ラップ単体ではなく、ブレイキン、DJ、クラブ、服、フライヤーと一緒に入ってきた。音源だけを追うと、この時代の熱が細く見える。

軽さも資料になる

初期作品には今聴くと軽く感じるものもある。ただ、その軽さは未熟さだけではない。海外の音を日本語の遊びへ変える時の距離感が残っている。

日本の現場では

東京の話に寄りがちだが、実際には輸入盤、テレビ、雑誌、ダンスイベントを通じて各地の若者が同時に受け取っていた。『東京発』の物語だけでは全国の実像を見誤る。

ジャケット / 映像 / 服

ナイロン、スニーカー、キャップ、太いパンツ、クラブフライヤー、白黒コピー。まだ高級ブランドより、輸入とDIYの匂いが強い。

関連キーワード

音源・人物・現場

Archive

要点

入口の時代は、完成されたラップ史ではなく、受け取り方の歴史。映画、踊り、クラブ、服、雑誌が音源より先に走った。

映画がカルチャーを運んだ

『ワイルド・スタイル』は、曲だけでなく、壁、服、動き、DJMCの関係をまとめて見せた。日本ではヒップホップを音楽ジャンルではなく、カルチャーとして受け取る入口になった。

日本語の間を探した

初期のラップにはぎこちなさもある。ただ、その試行錯誤が後の日本語ラップの語尾、母音、倒置、英語混じりの使い方へつながる。

クラブとレコード屋が学校だった

情報が少ない時代ほど、誰が何をかけ、どこで踊り、どのレコードを買うかが重かった。現場が資料であり、学校でもあった。

場所ごとの役割を分けて見る

原宿ホコ天は路上で踊りを見せ、練習する場所。Tools Bar、P.PICASSO、Bubblin' Dubは夜の店や流通の接点だった。どちらも入口だが、同じ種類の場所ではない。

初期の服は資料になる

スニーカー、ナイロン、キャップ、太いパンツ、古着、ミリタリー。ブランド名だけではなく、輸入盤を買い、踊り、クラブへ行く身体の動きまで含めて見る。

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